日本とミクロネシアはトラックとのつながりを感じる/“「冒険ダン吉」になった男 森小弁”

ミクロネシア連邦に行くと日本人の名前を持つ者が多い。名前以外に姓名にも日本名が多くある。

チューク諸島モエン島にあるブルーラグーンリゾートというホテルの部屋には電話帳が置かれている。「これで国すべての人の?」と思うくらい薄っぺらい電話帳だ。その電話帳でMori、Shirai、Aizawaといった名字を目にする。

チュークと呼ばれる前、トラックと呼ばれていた時代、特に戦時中は帝国海軍の基地もあったために日本との関係性の強さは誰もが知るだろう。よって日本人の名字を持つ者は自然と多くなる。中学の歴史の教科書にも「海軍基地があって昭和19年の2月、Operation Hailstone(トラック空襲)によって攻撃された」と載るくらいの土地だ。

しかし実は海軍が入る前からトラックには日本人がいたのだ。それが明治期から終戦までトラックで活躍した森小弁と呼ばれる男だ。

この本からは、「自分が何とかする」という明治期の男ならではの“熱”さも感じることができる。そしてどことなく“草食系男子”とくくられる今の日本の若者とは大違いな気がする人物でもある。

森小弁は明治25年、日本に嫌気をさしトラックに渡り、現地でヤシの木からコプラを作りそれで貿易業の走りを現地ではじめる。

そして現地人一家に婿入りすることで酋長までになる。そして第一次大戦後、日本の委任統治が始まり・・・・・・相澤庄太郎氏や中山正実氏が・・・・・・。ネタバレになるのでここから先は実際に読んでもらいたい。

さて現地ではコプラ以外に鰹節の生産もしていたという。これは私ももちろん知っていた。沖縄・慶良間諸島慶留間島のおじいから聞いた。「昔、トラックは暑いから、暑い土地生まれの沖縄や八丈島の人たちはトラックまで鰹漁をしに行ったり、鰹節工場へ働きに行っていた」と。こんなところでも話がつながった。まさに日本人にとっては身近な土地であるのだ。

森小弁、相澤庄太郎、白井孫平などの終戦まで活躍された日本人、その姓をもつ人が今も現地にいると彼らの活躍を強く感じ一冊だった。

Masa Michishiro(道城征央)のコラムvol.4

Category: ヒストリー
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